特集/コラム
【エリア特集】2008-07-14
札幌がジャズの街になる「サッポロ・シティ・ジャズ2008」
札幌がジャズの街になる「サッポロ・シティ・ジャズ2008」
昨年の初開催までの長い道のり
今年で2回目を迎える「サッポロ・シティ・ジャズ2008」。7月19日から22日間、札幌の街はジャズ一色となる。昨年、初開催ながら約65,000人を動員したこの国内最大規模のジャズフェスティバル。今年の開催を目前に、昨年の開催までの道のりを振り返るとともにイベントのルーツを探った。
■札幌の「街」が会場の都市型ジャズフェスティバル
道内では近年、各地でサマージャズフェスティバルが盛んに開催されるようになった。2006年には札幌で2カ所、岩見沢、倶知安、苫小牧、室蘭、帯広の計7つのジャズフェスティバルが実施されるなど、ジャズイベントに対する地域の潜在的ニーズは高く、イベントの実施に比例してアマチュアの活動も盛んになっている。そんな中、「サッポロ・シティ・ジャズ」(以下SCJ)は前身となった「サッポロ・ジャズ・フォレスト」(以下SJF)の潮流を受け、既存のパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)とライジングサンロックフェスティバルなどの大型音楽事業に連動する新たな札幌の観光文化資源の構築による特色ある街づくりを目指し、昨年7月にスタート。会期中の16日間に市街地や中島公園、札幌芸術の森など札幌の「街」全体を会場に5プログラムを実施。初開催ながら約65,000人を動員し、大きな話題を集めた。
札幌で国内最大規模のジャズフェス(札幌経済新聞) 「サッポロ・シティ・ジャズ2008」概要発表(札幌経済新聞)
SCJが初開催にして国内最大規模のジャズフェスティバルとなり成功を収めたのには、それまで札幌のジャズフェス文化を培ってきたSJFの存在が要因の一つとして挙げられる。SJFは、1999年から8年間の連続開催により、札幌を代表する音楽イベントの一つとして多くの市民に良質なジャズ音楽を提供。2000年には、SJFの一環として国内外でも珍しい小中学生を対象としたジャズスクール「札幌・ジュニア・ジャズスクール」をスタートさせ、青少年へのジャズ音楽の普及に努めてきた。
札幌で国内最大規模のジャズフェス(札幌経済新聞) 「サッポロ・シティ・ジャズ2008」概要発表(札幌経済新聞)
SCJが初開催にして国内最大規模のジャズフェスティバルとなり成功を収めたのには、それまで札幌のジャズフェス文化を培ってきたSJFの存在が要因の一つとして挙げられる。SJFは、1999年から8年間の連続開催により、札幌を代表する音楽イベントの一つとして多くの市民に良質なジャズ音楽を提供。2000年には、SJFの一環として国内外でも珍しい小中学生を対象としたジャズスクール「札幌・ジュニア・ジャズスクール」をスタートさせ、青少年へのジャズ音楽の普及に努めてきた。
■「サッポロ・ジャズ・フォレスト」から「サッポロ・シティ・ジャズ」へ
そもそも、SJFはどうして誕生したのか、SCJ、SJFの企画から立ち会ってきたSCJ実行委員会フェスティバルプロデューサーの山内明光さんに話を聞いた
。「SJFの前は、札幌で12年間くらい野外のジャズフェスをやっていなかったんです。当時、芸術の森施設内の音楽の練習場であるアートホールを使っていたアマチュアのジャズの方から、『札幌でもジャズフェスをやってほしい』という声があり、直接的にはそれがきっかけとなりました。(当時は)ジャズのマーケットが今ほど広くもなく、いわゆるマニアの音楽的なイメージでとらえられていたのと、民間で興行としてやるには集客力が少なかった。それで、ウチみたいな公共的な施設にやってほしいという声があって。ちょうどその時、SJFの前にやっていた「まつり」という和太鼓のフェスティバルが、その当時3年目で毎年満員にするほどのイベントに成長し、そろそろシフトするタイミングでの話だったので、『じゃあジャズをやろうか』といって始まったんです」
SJFを立ち上げた際、フェスティバルの形式で行うには当時から長期的な計画があったという。「長期的にやっていく上で、プロを呼んで見せるという興行的な側面だけではなかなか地域に根ざしたものにはならないので、アマチュアもなんとかしないといけないというのが同時にありました。それで翌2000年にアマチュアを育成する観点から札幌ジュニアジャズスクールをSJFの一環として立ち上げ、8年間やってきて…その間にバークリー音楽院と提携してグルーブキャンプだとか、学生ばかりを集めた札幌スチューデントジャズコンサートなど、ジャズを総括的にとらえていろんなニーズに応えるためにいくつかのジャズ関連の事業も起こした。一番大きかったのはジャズスクールですね。札幌だけでなく全国各地に波及していき、各地でもSJFをモチーフとしたジャズフェ
スティバルが立ち上がるようになった。それから『スウィングガールズ』という映画が流行って、今までジャズに興味がなかった世代の人たちもジャズに目を向け、学生で演奏する人も増えてきたり、音楽自体の中でも、ジャズだロックだという境界線がなくなってクロスオーバーしてきたり・・・、どんどん良い形で広がってマーケットも大きくなっていった。そうした時に、芸術の森から始まったその流れを芸術の森だけでなく、札幌の街全体の中でジャズを通した街づくりができないかということを2006年くらいから市と協業し始めた。それで、街全体を使う都市型のジャズフェスティバルをやることになり、SCJになったんです」。
当時まだ数少なかったジャズファンの一言から始まったSJFは、8年の間に札幌だけでなく全国にまで影響を与えてその役割を終えた。そして、SJFのベースの上に新たにSCJが立ち上がり、さらに大きな展開を見せることになる。
。「SJFの前は、札幌で12年間くらい野外のジャズフェスをやっていなかったんです。当時、芸術の森施設内の音楽の練習場であるアートホールを使っていたアマチュアのジャズの方から、『札幌でもジャズフェスをやってほしい』という声があり、直接的にはそれがきっかけとなりました。(当時は)ジャズのマーケットが今ほど広くもなく、いわゆるマニアの音楽的なイメージでとらえられていたのと、民間で興行としてやるには集客力が少なかった。それで、ウチみたいな公共的な施設にやってほしいという声があって。ちょうどその時、SJFの前にやっていた「まつり」という和太鼓のフェスティバルが、その当時3年目で毎年満員にするほどのイベントに成長し、そろそろシフトするタイミングでの話だったので、『じゃあジャズをやろうか』といって始まったんです」SJFを立ち上げた際、フェスティバルの形式で行うには当時から長期的な計画があったという。「長期的にやっていく上で、プロを呼んで見せるという興行的な側面だけではなかなか地域に根ざしたものにはならないので、アマチュアもなんとかしないといけないというのが同時にありました。それで翌2000年にアマチュアを育成する観点から札幌ジュニアジャズスクールをSJFの一環として立ち上げ、8年間やってきて…その間にバークリー音楽院と提携してグルーブキャンプだとか、学生ばかりを集めた札幌スチューデントジャズコンサートなど、ジャズを総括的にとらえていろんなニーズに応えるためにいくつかのジャズ関連の事業も起こした。一番大きかったのはジャズスクールですね。札幌だけでなく全国各地に波及していき、各地でもSJFをモチーフとしたジャズフェ
スティバルが立ち上がるようになった。それから『スウィングガールズ』という映画が流行って、今までジャズに興味がなかった世代の人たちもジャズに目を向け、学生で演奏する人も増えてきたり、音楽自体の中でも、ジャズだロックだという境界線がなくなってクロスオーバーしてきたり・・・、どんどん良い形で広がってマーケットも大きくなっていった。そうした時に、芸術の森から始まったその流れを芸術の森だけでなく、札幌の街全体の中でジャズを通した街づくりができないかということを2006年くらいから市と協業し始めた。それで、街全体を使う都市型のジャズフェスティバルをやることになり、SCJになったんです」。当時まだ数少なかったジャズファンの一言から始まったSJFは、8年の間に札幌だけでなく全国にまで影響を与えてその役割を終えた。そして、SJFのベースの上に新たにSCJが立ち上がり、さらに大きな展開を見せることになる。
■国内初の映像投写式テント「ホワイトロック」
SCJのプログラムの中で、もっとも注目を集めたのが「ホワイトロックミュージックテントライブ」。国内で初めて映像投射式テント「ホワイトロック」を導入し、SCJのメーン事業として展開。ホワイトロックは、三角形の骨組みを組み合わせ、特殊なスクリーンシートで覆った半球体ドームで、高輝度ビデオプロジェクターを使用することでドーム内外に映像を投
影することができる。大きさは590平方メートルにもなり、仮設ドームとしては国内最大級。テント内には500席を備えたレストラン&バーを展開し、その独特の芸術空間の中で食事をしながらプロミュージシャンのライブを楽しむことができる、全国的にも注目される試みとなった。
「札幌らしさをどうやって出すか、SCJのウリを何にするか、というところで随分議論がありました。それで行き着いたのが、あのテント(ホワイトロック)だったんです。ただ当時、建築の偽造問題などがあって…アメリカ製のテントを持ってきても日本の規格に合わないんです。それを解析して日本の規格に合うようにして審査を受けて…結局、テントの導入が決定したのが(開催年の)1月でした。それから実際にテントの導入が決まったのが6月。企業の協賛や出演アーティストも、テントでやれるかどうかで露出の仕方も違ってくるので、テントの導入が遅れたことで、プログラムの作成からプロモーション、協賛集め、実質的な運営計画などすべてが遅れて…それを6月から一気にやり始めたんですよ」と、ホワイトロックの導入には膨大な時間を要したと山内さんは振り返る。
約1カ月の間に急ピッチで準備を進め、無事開催に至った裏には、近隣住民との音のトラブルもあったという。「ホワイトロックの導入にあたり、音響実験もできないままテントが来たんです。映像がきれいに映るということはテントの膜がそれだけ薄く、僕らが予想していた以上に音が外に漏れる。外でやっているのと変わらないくらいの音なん
ですよ。1日目2日目は土日で、苦情が来るだろうと思っていたけどさほど来なくて…近隣の人たちは2日間くらいで終わるイベントだろうと我慢していたらしいんです。それが2週間続くということがわかって、月曜日のイベントの時に警察を巻き込むような大騒動になったんですよ。それからは近隣の住民も怖かったし、とても過敏になっていましたね。開催期間中はもうやめようと思いました。どんなイベントもそうですが、終わってしまうとまたやりたいと思うし、来た人たちはみんな喜んでいた訳ですから…『うるさい』という人がいた反面、近所から集まってきて、公園でたたずみながら聴いているというような光景があったり…終わってから2週間後くらいにはまた『来年も頑張ろう』という雰囲気になっていましたね」
SAPPORO CITY JAZZ 2007 報告
影することができる。大きさは590平方メートルにもなり、仮設ドームとしては国内最大級。テント内には500席を備えたレストラン&バーを展開し、その独特の芸術空間の中で食事をしながらプロミュージシャンのライブを楽しむことができる、全国的にも注目される試みとなった。「札幌らしさをどうやって出すか、SCJのウリを何にするか、というところで随分議論がありました。それで行き着いたのが、あのテント(ホワイトロック)だったんです。ただ当時、建築の偽造問題などがあって…アメリカ製のテントを持ってきても日本の規格に合わないんです。それを解析して日本の規格に合うようにして審査を受けて…結局、テントの導入が決定したのが(開催年の)1月でした。それから実際にテントの導入が決まったのが6月。企業の協賛や出演アーティストも、テントでやれるかどうかで露出の仕方も違ってくるので、テントの導入が遅れたことで、プログラムの作成からプロモーション、協賛集め、実質的な運営計画などすべてが遅れて…それを6月から一気にやり始めたんですよ」と、ホワイトロックの導入には膨大な時間を要したと山内さんは振り返る。
約1カ月の間に急ピッチで準備を進め、無事開催に至った裏には、近隣住民との音のトラブルもあったという。「ホワイトロックの導入にあたり、音響実験もできないままテントが来たんです。映像がきれいに映るということはテントの膜がそれだけ薄く、僕らが予想していた以上に音が外に漏れる。外でやっているのと変わらないくらいの音なん
ですよ。1日目2日目は土日で、苦情が来るだろうと思っていたけどさほど来なくて…近隣の人たちは2日間くらいで終わるイベントだろうと我慢していたらしいんです。それが2週間続くということがわかって、月曜日のイベントの時に警察を巻き込むような大騒動になったんですよ。それからは近隣の住民も怖かったし、とても過敏になっていましたね。開催期間中はもうやめようと思いました。どんなイベントもそうですが、終わってしまうとまたやりたいと思うし、来た人たちはみんな喜んでいた訳ですから…『うるさい』という人がいた反面、近所から集まってきて、公園でたたずみながら聴いているというような光景があったり…終わってから2週間後くらいにはまた『来年も頑張ろう』という雰囲気になっていましたね」SAPPORO CITY JAZZ 2007 報告
■昨年の思い、今年、そしてこれから・・・
「昨年は本当に必死でした。イベントの難易度としては、過去20年間に携わってきた大きなイベントの中でも1番か2番くらい大変だったんですよ。音の突発的な問題や、多くのスタッフを束ねて…非常に難しいイベントだったんですが、今年はテントも既に入り
、スタッフも流れがよくわかっているので、わりと余裕があります。ただ、協賛を集めなくてはいけないプレッシャーは、今年も去年も変わらず大変ですね。ジャズ事業を9年、10年やってきた中で、街のイベントとして昨年のSCJは最終的な形でした。7月のPMFと8月の終わりのライジングサンの間に、ジャズのイベントを入れることによって、夏の札幌の観光を『音楽』というキーワードでくくるという市の意図があったので、いずれはPMFやライジングサン、そして将来的にはモントリオールのようなイベントにしたいという思いだけですね」と山内さん。
世界最大のジャズフェスティバル「モントリオールジャズフェスティバル」のような国際ジャズフェスティバルを目指すSCJ。山内さんは昨年、初めてモントリオールを訪れ、モントリオールジャズフェスティバルと提携の話を進めているという。6月末には、SCJの国際交流事業、日加修交80周年記念事業の一環として札幌ジュニアジャズスクールの中学生クラス23人が渡加し、トロントとモントリオールのジャズフェスティバルに出演。モントリオールでは、カナダ以外のアマチュアの出演は異例のことで、大変な快挙であるとともに、国際ジャズフェスティバルを目指すSCJとしても大きな意味を持つことになる。ほかにも、大通公園をメーン会場に行う「ホワイトロックミュージックテントライブ」に、カナダジャズ界の至宝と称されるビブラフォン奏者・ピーター・アップルヤードさんを招聘(しょうへい)するなど、提携に向け現在はモントリオールとの交流を深めている。
野外ジャズフェスティバルでは国内最大規模を誇るSCJだが、一方では札幌市内でもイベントの存在を知らない人もまだまだ多いのが現状だ。しかし、今年はメーンの「ホワイトロックミュージックテントライブ」を中島公園から大通公園に会場を移し、会期を6日間延長。札幌の中心ともいえる大通公園での開催により、札幌市民をはじめ道外からの観光客など多くの人がSCJの存在を知ることになるだろう。「10年ぐらいは続けられればいいなと思っています。10年あれば多分定着するだろうし…。将来的には、市民が中心になって開催するジャズフェスにシフトしていけるような形が一番いいかな」と、山内さんは、さまざまな部分でもっと市民参加を増やしていきたいという。まずはSCJの展望を占うことになる2回目の今年の展開に期待したい。
SAPPORO CITY JAZZ 2008 札幌100マイル山内さんのスペシャルレポログ「VOICE/CITY JAZZ」
、スタッフも流れがよくわかっているので、わりと余裕があります。ただ、協賛を集めなくてはいけないプレッシャーは、今年も去年も変わらず大変ですね。ジャズ事業を9年、10年やってきた中で、街のイベントとして昨年のSCJは最終的な形でした。7月のPMFと8月の終わりのライジングサンの間に、ジャズのイベントを入れることによって、夏の札幌の観光を『音楽』というキーワードでくくるという市の意図があったので、いずれはPMFやライジングサン、そして将来的にはモントリオールのようなイベントにしたいという思いだけですね」と山内さん。世界最大のジャズフェスティバル「モントリオールジャズフェスティバル」のような国際ジャズフェスティバルを目指すSCJ。山内さんは昨年、初めてモントリオールを訪れ、モントリオールジャズフェスティバルと提携の話を進めているという。6月末には、SCJの国際交流事業、日加修交80周年記念事業の一環として札幌ジュニアジャズスクールの中学生クラス23人が渡加し、トロントとモントリオールのジャズフェスティバルに出演。モントリオールでは、カナダ以外のアマチュアの出演は異例のことで、大変な快挙であるとともに、国際ジャズフェスティバルを目指すSCJとしても大きな意味を持つことになる。ほかにも、大通公園をメーン会場に行う「ホワイトロックミュージックテントライブ」に、カナダジャズ界の至宝と称されるビブラフォン奏者・ピーター・アップルヤードさんを招聘(しょうへい)するなど、提携に向け現在はモントリオールとの交流を深めている。
野外ジャズフェスティバルでは国内最大規模を誇るSCJだが、一方では札幌市内でもイベントの存在を知らない人もまだまだ多いのが現状だ。しかし、今年はメーンの「ホワイトロックミュージックテントライブ」を中島公園から大通公園に会場を移し、会期を6日間延長。札幌の中心ともいえる大通公園での開催により、札幌市民をはじめ道外からの観光客など多くの人がSCJの存在を知ることになるだろう。「10年ぐらいは続けられればいいなと思っています。10年あれば多分定着するだろうし…。将来的には、市民が中心になって開催するジャズフェスにシフトしていけるような形が一番いいかな」と、山内さんは、さまざまな部分でもっと市民参加を増やしていきたいという。まずはSCJの展望を占うことになる2回目の今年の展開に期待したい。
SAPPORO CITY JAZZ 2008 札幌100マイル山内さんのスペシャルレポログ「VOICE/CITY JAZZ」
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